縄文時代(草創期)
                            (約1万3000年前〜約10000年前)

横井竹ノ山遺跡(よこいたけのやま) 位 置  鹿児島市犬迫町
発掘年  1999年(平成11年)
周囲の状況  鹿児島市と伊集院町と松元町の境の標高約190mのシラス台地にあります。(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)
出土品など  旧石器時代の「槍(やり)」に使う細石刃と文様(もんよう)のない土器や石鏃が同じ地層から発見されました。このことは,旧石器時代の終わりごろには縄文時代の文化がめばえていたという証拠です。
(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)

発掘風景
「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団

剥片尖頭器(左)とナイフ形石器(右)
県立埋蔵文化財センター展示品
掃除山遺跡
(そうじやま)
位 置  鹿児島市下福元町
発掘年  1990年(平成2年)
周囲の状況  谷山市街を望む,標高約180mの台地にあります。
(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)
出土品など  桜島が噴出(ふんしゅつ)した薩摩火山灰(約1万1千5百年前)層の下から,大量の遺物とともに2軒の竪穴住居跡や屋外炉,蒸し焼き調理場(集石)や燻製(くんせい)施設(炉穴(ろけつ))など種々の調理場の整った集落が発見された。旧石器時代が終わり,縄文時代が始まった直後の鹿児島の地には,すでに定住のきざしが見える集落が誕生していたことが判明した。
(「教科書にのらない鹿児島の遺跡2」埋蔵文化財センター)
竪穴住居跡 遺跡の様子
鹿児島市教育委員会・(写真提供)
 当時の人々は地面に穴を堀り,まわりに柱を立てて住居を作っていたようです。屋根や柱は長い間にくさってしまい,残っていませんが,掘られた穴は,後で積もった火山灰によって発見されました。
(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)
奥ノ仁田遺跡
(おくのにた)
位 置 西之表市安城
発掘年 1993年(平成5年)
周囲の状況 種子島の北東部で太平洋を望む標高約130mの台地にあります。
(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)
出土品など 隆帯文(りゅうたいもん)土器が1000点以上,そして石鏃(せきぞく),石斧(せきふ),石皿(いしざら)などがみつかりました。この発掘調査から,種子島でも縄文時代草創期の遺跡があることがわかりました。また,全国的にもめずらしい磨いてある石鏃もみつかりました。発見された土器には,幅の広い粘土ひもを土器の外側にはり付け,貝がらで文様(もんよう)を付けたものもあります。
(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)

遺跡の様子
西之表市教育委員会・(写真提供)

土器
西之表市教育委員会蔵
(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)
10 栫ノ原遺跡
(かこいのはら)
位 置  加世田市村原
発掘年 1975年(昭和50年)〜1977年(昭和 52年),1986年(昭和61年),1989年(平成元年)〜1993年(平成5年)
周囲の状況  万之瀬(まのせ)川と加世田川の合流するあたりの標高30mの台地の上にあります。(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)
出土品など  炉跡(ろあと),集石(しゅうせき),煙道付き炉穴(えんどうつきろあな(連穴土坑(れんけつどこう))などの遺構や,隆帯文(りゅうたいもん)土器が約1000点,石鏃(せきぞく),磨製石斧(ませいせきふ)(磨いてある石斧)などが発見されました。そして,この栫ノ原遺跡は,南九州を代表する縄文時代草創期の遺跡ということで,平成9年に国の史跡に指定されました。
(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)
石皿・磨石 煙道付き炉穴(えんどうつきろあな(連穴土坑(れんけつどこう))
(加世田市教育委員会蔵) (加世田市教育委員会写真提供)
重さが40kgもある石皿が見つかっています。このような重い石皿を簡単に運ぶことはできないでしょう。  煙道付き炉穴(えんどうつきろあな(連穴土坑(れんけつどこう))は,大きい穴と小さい穴がトンネルでつないであります。大きい穴で火をたいて,小さな穴の上に肉などをつるして煙でいぶしていたようです。
(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)
11 三角山T遺跡
(さんかくやまいち)
位 置  中種子町砂中
発掘年  1995年(平成7年)から
周囲の状況  標高約245mの台地上にある。
(「埋文だより」第22号 平成12年3月21日鹿児島県立埋蔵文化財センター)
出土品など  約1万2000年前とされる縄文時代草創期の土器や石器が多量に出土しています。縄文時代草創期の土器である「隆帯文土器(りゅうたいもんどき)」は,土器の表面に粘土のひもを貼り付け,その上を指やヘラなどで押しつけて刻(きざ)み目をつけるものです。三角山T遺跡や西之表市の奥ノ仁田遺跡(おくのにたいせき)などでは,貝殻(かいがら)を押しつけて刻みをつけた土器も多く出土しており,種子島の特徴と考えられます。
 縄文時代草創期は,人々が土器を作り始めた時代です。単なる煮炊(にた)きの道具として作るだけでなく,そのころ既(すで)に美しさを意識して,一つ一つていねいに貝殻を押しつけていった縄文人の姿がしのばれます。
(「縄文だより」第13号 平成9年2月28日鹿児島県立埋蔵文化財センター)

 縄文時代草創期・早期・前期の土器や石器がたくさん見つかっています。
 平成11年度の発掘調査の中で最も注目されるものは,縄文時代早期の塞ノ神式土器(せのかんしきどき)(約7500年前)と呼ばれる土器と同じ頃に,穴をあけて磨いて作った矢じり(磨製石鏃(ませいせきぞく))2点です。このような穴をあけてある磨製石鏃は,同じ中種子町の須行園遺跡(すぎょうぞのいせき)で1点見つかっています。そのほか,西之表市の種子島総合開発センターに古田二本松で採集したものが1点展示してあります。このように穴をあけている磨製石鏃は,種子島から合計4点見つかっていますが,種子島以外の遺跡からは見つかっていないとても珍しいものです。
 なぜ,種子島だけから見つかりどのようにして何のために穴をあけたのでしょうか。
(「埋文だより」第22号 平成12年3月21日鹿児島県立埋蔵文化財センター)

遺跡の全景
(鹿児島県立埋蔵文化財センター)

隆帯文土器(りゅうたいもんどき)
(鹿児島県立埋蔵文化財センター)
12 志風頭遺跡
(しかぜがしら)
位 置 加世田市内山田
発掘年 1996年(平成8年)6月〜1996年7月,1997年(平成9年)8月〜1997年12月
周囲の状況 加世田市の西部に位置する標高513mの長屋(ちょうや)山から,東側へ下った舌状(ぜつじょう:舌のかたち)に広がる標高約60mの広大なシラス台地に立地する。
出土品など 国内最古(約1万2000年前)のくん製施設とその中から,最古級の土器(隆帯文(りゅうたいもん)土器)が,南九州で初めてのほぼ復元可能な形で出土されました。また,約9500年前の磨製石鏃(ませいせきぞく)(磨いた矢じり)もたくさん出土しました。
  口の部分の直径が42cmもあり持って運ぶには不便なので,同じ場所で使ったと考えられます。
(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)
大型の土器
(加世田市教育委員会蔵)
13 東黒土田遺跡
(ひがしくろつちだ)
位 置 志布志町内之倉
発掘年 1980年(昭和55年)
周囲の状況 標高約160mの細長く延びた台地にあります。
(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)
出土品など 石で囲った炉跡,木の実が炭の状態でつまった穴(貯蔵穴)が見つかりました。この木の実を放射性炭素年代測定という方法で調べた結果,今から1万2000年前のものとわかりました。
(「縄文の世界−上野原遺跡のなぞ−」鹿児島県育英財団)
遺跡発掘の様子 貯蔵穴から発見された木の実
黎明館(写真提供)