縄文時代(前期)
(約6300年前〜約5000年前)
| 18 | 一湊松山遺跡 (いっそうまつやま) |
位 置 | 上屋久町一湊 | |
| 発掘年 | 1957年(昭和32年),1980年(昭和55年),1992年(平成4年)〜1995年(平成7年) | |||
| 周囲の状況 | 一湊川によって開けた沖積(ちゅうせき)低地および砂丘地にある。矢筈(やはず)岬と一湊湾が形成する天然の良港に恵まれ,背後には「布引(ぬのび)きの滝」が流れるなど,生活に必要な水を容易に求められる立地条件の整った場所である。 (沖積:流水によって運ばれてきた土砂などが積み重なったもの) |
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| 出土品など | 九州における縄文時代前期を代表する曽畑(そばた)式土器が,大量に出土した特徴ある遺跡として注目されている。この土器は,屋久島から遠く離れた熊本県宇土市にある曽畑貝塚が標識遺跡で,一般的に底の丸い深鉢が多く,壺(つぼ),碗(わん)などもある。外側のほぼ全面と内側の口縁部の一部に,細いへら状,もしくは棒状の道具を使って文様(もんよう)を描いている。 曽畑式土器が発見されている地域は,朝鮮半島南部の釜山市にある東三洞(とうさんとう)貝塚から九州全域,さらに沖縄県など,南北950キロにも及ぶ。そのため,朝鮮半島と西北九州縄文人との活発な交流が考えられている。 (「教科書にのらない鹿児島の遺跡 37」 県立埋蔵文化財センター) |
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| 遺跡全景 | 土器片 | |||